睡蓮
みなさんこんばんは。
那須川天心vs内藤大樹
いやーーー、、、天心強笑
天心を脅かすのは3年で成長した内藤大樹かと思われてましたが、天心強すぎてビビりました。
年末に向けて、いい勢いがつきましたね。
世界中が望んでるメイウェザーをボコボコにするシーンを見てみたいものです。
さて、今回は睡蓮。
睡蓮と言えば皆さんご存知の通り、クロード・モネの代表作のうちの1つですね。
みなさんは、モネの睡蓮って1枚の絵の事だと思っていますか??
実は睡蓮という作品は200点以上存在し、その多くの睡蓮を描いた作品を総称して睡蓮と呼ばれます。
2018年現在でも未発見のものが新たに見つかったりもしているので、その総数は未だ未確定です。
作品の中には個人所有となっているものも多く存在しますが、世界各国の美術館や博物館に飾られているものも多いため、比較的目にする事自体は容易であると言えます。
勿論私たちの国日本にも飾られている美術館博物館は存在し、日本だけでも東京を始めとし、福岡や岡山、京都、群馬、神奈川など睡蓮を見られる場所は多く存在し、その中には睡蓮をメインとし、モネの庭を再現した場所を作っているところもあります。
私自身は、京都は大山崎にあるアサヒビール大山崎山荘美術館が割と近いので、そこにある睡蓮を見たことがあり、最近まで睡蓮はソレを指すのだと思っていました笑
最近出たオークションでは2400万ドルで落札されるなど、その価値も桁違いなので、人生で所有する機会なんてないとは思いますが、もし、もしも蔵に眠っているなんてことがあれば、、、普通にニュースものですね笑
十返舎一九
みなさんこんばんは。
日本のキャッシュレス化、どれほど進むんでしょうか。少し前からデビットカードを作って一足先にキャッシュレス化をスタートさせましたが、まだまだ飲食店とかでは使えないところも多いですね。
ラーメンが好きですがラーメン屋なんかほぼ使えないですしね。一応少しだけ現金を待ってますが、それも持たなくて済む世が近いうちに訪れるんでしょう。
さて前回、写楽についてサラッとみましたが、今回は何となく版画、浮世絵シリーズとして今回十返舎一九についてです。
皆さん十返舎一九と言えば100人いたら100人が同じものを思い浮かべるでしょうね。
そう。東海道中膝栗毛
その著者が十返舎一九です。
絵師としては、江戸で東洲斎写楽などの出版元としてもお馴染みの蔦屋重三郎の元で挿絵や用紙の加工を手伝い、その後その文才に加え、絵心もあったため、一人で文章も挿絵も描いて出版していました。
東海道中膝栗毛は1802年に発行された滑稽本で爆発的な人気を博しました。
その名の膝栗毛とは、膝というのが自分の足を指し、栗毛は黄金に近い馬の毛色を指し、自分の足を馬の代わりにして行う徒歩の旅行ということです。
主人公の弥次郎兵衛と喜多八は弥次さん喜多さん、弥次喜多などと呼ばれ、いまでも弥次喜多珍道中など題材になることが多いですね。
この作品は要は弥次郎兵衛と喜多八の旅をえがいたもので、江戸から伊勢神宮を周り大坂へと向かう道中を描いたものです。
今回は、骨董的な事より歴史的なことになっちゃいましたね笑
軌道修正どっかでします笑
東洲斎写楽
みなさんこんにちは。
お腹空きすぎて気分悪くなったりお腹痛くなることってありませんか??
ちょうどその現象に陥ってる私です。。
お腹空きすぎてすごい気持ち悪い笑
さて、そんなことはさておき、今回は私が一番好きな浮世絵作家である東洲斎写楽についてです。
謎の多い東洲斎写楽ですが、掘り下げていきます。
まず、東洲斎写楽と言えばこの作品を思い出す方も多いはず。
これは三代目大谷鬼次の奴江戸兵衛という作品です。
写楽はこの作品に代表されるようにその当時流行っていた役者の大首絵を多く残しており、その大胆にデフォルメされた画風が特徴です。
私も感覚的な事にはなりますが、これらの写楽特有のタッチに何か心惹かれるんですよねぇ。
他に有名な作品といえば、
これは市川鰕蔵の竹村定之進という作品で
その名の通り市川鰕蔵(えびぞう)が描かれています。
この市川鰕蔵は3代目の市川鰕蔵で、現在の市川海老蔵さんが11代目になります。
この人物は襲名の過程で3代目松本幸四郎や5代目市川団十郎も襲名しているので、現在皆さんがご存知の10代目松本幸四郎(元染五郎さん)や、先代である松たか子のお父さんの現松本白鸚よりかなり先代の松本幸四郎でもありました。
写楽は謎の多い人物で未だに正体が明らかになっていません。
寛政6年(1794年)の5月から翌1月(寛政6年には閏11月あり)の10ヶ月の間にフラッと現れて145点余の作品を残し、姿を消しています。
その中でも前半6ヶ月程度の間に製作された作品と後期の作品ではあまりにもの出来の違い(後半が粗悪)から前後期で別人説があったり、10ヶ月の間での作品数の多さから複数人で作成されていた説、また当時有名だった喜多川歌麿や葛飾北斎などを写楽の正体とする説まで色んな憶測が飛び交いました。
現在では、その正体の最有力候補として、阿波徳島藩主蜂須賀家のお抱えの能役者であった斎藤十郎兵衛であると言う説が最有力候補で根拠もこの説が一番しっかりしています。
みなさんも写楽について詳しく知りたくなってきました?笑
骨董品の買取って難しい
みなさんこんにちは。
シーズンごとにある都市伝説のスペシャル。
結構好きで毎回見てしまいます笑
ミスター都市伝説こと関暁夫さん。元々ハローバイバイというお笑いコンビだったことを覚えている人ってどれくらいいるんですかね??笑
相方だった金成さんは今はギンナナというコンビを組まれていて、泥の97年組としてだいぶ前に出てたりしてましたね。
何の話やねん!!笑
さて、急ハンドル切って本題へと左折します。
今回は骨董品の買取。
骨董品と一言で言ってしまうのは簡単ですが、その中身は多種多様で、そもそも骨董品とは製作後100年を経っている価値のあるものの総称なので、壺や掛軸といったTHE骨董品のようなものから海外のアンティーク家具や懐中時計などのいわゆるアンティークと呼ばれるものまで様々です。ま、アンティークって骨董品って意味ですけど笑
じゃあ骨董品の買取はどうするのか…
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一番いいのは勿論専門家に任せることですが、専門家といえど骨董品は範囲が広いので実績というか経験の少ない方ではなかなか正しい鑑定結果にはならないこともあります。
そういう場合、まず骨董品の買取実績が豊富な大手買取業者に任せてみること、そして複数社で相見積もりを出して1社のいう事を鵜呑みにしないこと。
これが大切です。もし悪徳買取業者に運悪く捕まってしまった場合、本当の価値を知りながら非常に安い値段で買い叩かれるかもしれません。そんなことは絶対に避けたいですね。
難しい骨董品の世界ですが勉強あるのみ…。。。
酒井田柿右衛門
ミスタードーナツってコーヒー安いしおかわり自由なんですねー
全然知らなかった笑
はい。そんなことはさておき、今回は酒井田柿右衛門について掘り下げます。
みなさんも一度くらいは名前聞いたことがあるかもしれませんが、何した人?くらいの感じですよね
酒井田柿右衛門
酒井田柿右衛門は有田焼の作家で代々子孫が襲名し、当代は第15代の酒井田柿右衛門になるようです。
1700年ごろ朝鮮人陶工の李参平により有田に良質の陶土が発見されたことにより、その土を求めて有田へと引越しした酒井田円西とその子供喜三右衛門は有田で陶磁器の作成をしてました。その後17世紀前半に喜三右衛門が赤絵磁器の製作に成功し、柿右衛門を名乗り始めました。
この初代が確立した方式を柿右衛門様式と呼びこれは輸出もされ、欧州でも人気を博しました。
初代柿右衛門から第4代の柿右衛門までを初期柿右衛門、5-7代を中期柿右衛門、8代-10代を後期柿右衛門と呼びます。
柿右衛門様式
酒井田柿右衛門の確立した製法を柿右衛門様式と呼び特徴として、花鳥図などを題材にして、主に暖色系の色を使って描かれているのが特徴です。
地色は濁手と呼ばれる乳白色が特徴で、その上絵の赤などと非常に映えるのが特徴です。
代々の酒井田柿右衛門の作品は取引価格も高価になるのでもしお持ちの方は一度鑑定してみるといいかも、、
北大路魯山人
今回は北大路魯山人その人について勉強したいと思います。
皆さんも名前くらいは聞いたことがあると思います。陶芸家かな?美食家?お茶のCMで魯山人先生言われてたな…
どれくらい知っていますか??
北大路魯山人
北大路魯山人は本名を北大路房次郎と言い、魯山人という呼び名は1916年ごろから使い始めた名前になります。
北大路魯山人の職業を一言で称するなら「芸術家」と呼ばざるを得ないほど各方面で才能をいかんなく発揮し後世に残る作品を生み出しています。
陶芸、篆刻(印章を作成)、画家、書道、そして料理家や美食家としても有名ですね。
芸術家としての魯山人
書道家として10代の時に初めて出展したコンクールで何万もの応募作品の中から賞を受賞するなど若いうちからその才能を開花させており、書道だけでなく篆刻や画家としてもいかんなく才能を発揮していました。
陶芸家としても自身で始めた会員制高級食堂の食器を作るなどマルチな才能を発揮していました。
美食家としての魯山人
美食家としても有名で自身で美食倶楽部という高級会員制食堂を発足し、自ら料理を作る料理家としての才能とその食器を作成する陶芸家としての才能を発揮させていました。
有名な話ですが某超有名料理漫画の主人公の父親の美食家は魯山人をモデルにしており、この美食倶楽部が登場していたり、魯山人が東京東京で経営していた星岡茶寮をもじったであろうお店が登場していたりしました。
魯山人の人物像
魯山人は美術面では素晴らしいものを残していますが、毒舌、傲岸不遜であったといわれており、横山大観などの魯山人と同時期か少し前くらいに活躍した芸術家を罵倒したり、あの世界的画家であるピカソまでも容赦なく罵倒しています。
骨董品としての刀剣
今回は骨董品の中で男としてはみんな好き?な刀剣についてです。
刀剣の種類
みなさんが刀剣と聞いてまず思い浮かべるのはなんでしょうか?
日本刀でしょうか?
刀剣とひとえに言えど色々な種類があります。
まずは日本刀
日本刀の中にも刃がまっすぐな直刃や反っている太刀、それぞれ焼き入れで色々な模様がありますね。
刀身が短い短刀や脇差
日本刀は片刃ですが西洋の刀剣である両刃のもの
長い取っ手がついており先に刃がついている薙刀や槍
色々なものがありますね。
有名な刀匠
そんな中で日本刀でいうとやはり有名な刀匠のものは非常に高値で取引されています。
皆さんでも名前を知っているであろう刀匠も多々います。
正宗といったら聞いたこともあるでしょう相州正宗
風来のシレンにも出てきました。どうたぬき。
本来の名前は胴田貫正国(どうだぬきまさくに)といい、田に死体を横たわらせて斬ると胴を通り抜けて下の田まで斬ってしまうというところから名前が来ているそうです。
面白いですね
鉄砲刀剣類登録証
日本刀を所持するためには「鉄砲刀剣類登録証」という書類が必要になります。
これは各日本刀につき1枚存在するものでコレが無いと所有することが出来ません。
基本的に骨董品店などちゃんとしたお店で購入することになると思いますのでその場合しっかり登録済みのものになるとは思いますが、仮に登録がない場合は登録をする必要があります。
この登録は日本の伝統的な製法を用いて製作された日本刀でないと許可されず、西洋の刀剣や量産されているような軍刀(一部例外あり)は登録の対象とはなりません。
また、この許可証は猟銃使用許可のように所有者の適正を審査して許可するものでなく日本刀に付随するものなのでその所有者を判定するものではありません。
なかなか奥が深いですね、、
一振りの値段も安いものではないのでなかなか手出しできるようなものではありませんが一度は所有してみたいですね・・・